正月明けにKさんと長電話して盛り上がりました。
が、それでも飽き足らず、今度は リアルKさん と久々に会って、しゃべくり倒し、しこたま笑いました!
そして、Kさんといえば金言、今回の金言は?
神様は信じたほうがいいぜ!です。
少し前置きすると、
職場に、自分の考えだけが正しいと押し付ける人がいて、〇〇って考えもあるよね?と言っても理解されず困ってる…的な、仕事の愚痴が出たときの話です。(たまに真面目な話もしています)
以下、記憶を辿ってKさんゆるツイートを忠実に再現。
自分の神様を一人作る
ねぇ、神様って信じる?
俺はね、自分の神様を一人作っておくといいと思うの。どこの神様でもいいから。なんていうか…自分の中の神様みたいなもの。
でね、折に触れて神様に聞くのよ、
「こんなとき、神様ならどうしますか?」
って。すると神様が言うのよ、
「ワシならば…こうするじゃろう…」
で、それが、自分が行き過ぎた時の歯止めになるんだよね。
人は一人で生きられない
俺たち、一人では生きられないじゃん。周りの人間関係がウザいとか思っても、じゃぁ天涯孤独でいいかっていうと、違うじゃん? 仕事の一つを取っても、一人でやれてるように見えて、実際そんなもん一つもない。
俺は、俺以外の人に頼らなきゃいけないわけよ。俺は仕事できない人間だからさ。
じゃぁ俺以外の人は…?
俺とは別の人生歩んできてるから、当然、価値観とか俺とは違うんだけど、互いにその前提で話できないと、トラブルになるよね。
神様が正してくれるのよ
でもさ、経験を積んだり、努力してくるとね、自分の力だけで「できると勘違い」しちゃう時ってあんのよ。自分だけが正しくて、他は全部ブブーって。
心にゆとりがある時は、謙虚にもなれたりするけど、ゆとりがない時は、自分の考えしか見えなくなっちゃうのよね。そうなるとすっげぇイタい奴よ、俺。
そんな状態で相手と話をすれば、当然、摩擦が起こって、誰かを傷つけたり、逆にそういう輩に傷つけられたり…
そんな時、神様に聞くのよ。「神様ならどうしますか?」って。で、神様が「ワシならこうする」とか「それは行き過ぎじゃねぇの?」って言ってくれると、「あっ」つって、「やべ、自分の考え押し付けるとこだったわ」って改めれるわけ。
でも殆どは、失敗した後(こじれた後)で気づくんだけどね、💦
「あっ神様…俺やっちゃいました;」って、アハハ。
でもいいのよ、失敗した後でもさ、気づけたらそれで。そんな感じでいいのよ。要はそのまま突っ走ることが危険なの。どこかで立ち止まれればいい。神様はやさしいのよ。
自分の中に、そういう都合のいい神様を一人持っておくと、いいと思うんだよねー。
生活のゆとりは大事
だから神様はなるべく身近に置いて、ことある毎に話しかけるのがいいよ。
でも、最低限の生活のゆとりがないと、自分の神様は持てないのよ。
例えば、明日の食事も事欠く生活をしている状態で、今お腹が空いてるのに、自分のパンを人に分けれますか?って話。
物質的に貧しいと、略奪とか詐欺とかやっても「生きるためには仕方ない」っていう一方的な考えが、平気で正当化されちゃうっしょ。
だから、神様と話しができるには、最低限の生活のゆとりがあった方がいいのよ。
清貧はムリ
日本には「清貧の思想」ってのがあるよね。あれ、俺、嫌いな言葉でさ。
【清貧】貧乏だが、心が清らかで行ないが潔白なこと。余分を求めず、貧乏に安んじること。 鴨長明、良寛など、古人の簡素な生き方を良しとする考え方。
殆どの人は、貧しいのに心もキレイでいるなんて、ありえねぇよ。やっぱり貧すれば貧すると思うよ? 明日の生活も不安で、他人を気遣えるかって。だからあぁやって、貧しさを肯定しちゃぁアカンと俺は思う。少しでも抜け出す努力をした方がいい。
俺には華僑の親戚がいるんだけど、その人達と食事した時、俺が食べないのを見て「どうして食べないんだ?」と聞かれて、「みんな揃ってないから待ってます」と答えたら、バカか!って言われたの。
自分で自分を満たしてもやれない者が、人に与えられると思うなって。それはおごりだって。食事が出てきたら、まず自分が腹一杯食べなさい。それで余った分を人にあげればいい。そうすれば、思い切り与えられるから。
まず自分の生きる分を確保する…その点、あの人達はすっげぇ逞しいのよ。自分が満たされた上に余裕があって、はじめて人に与えられる。世の中にはこういう考え方もあるんだなぁって…。
その点俺は、お金があるとすぐ使っちゃうから、心のゆとりには全然足りないのよ。
ある人が言ったんだ、「お金が欲しければ、お金を愛さなきゃ」って。俺はお金を愛そうとしたよ、でもあっちは俺を愛してくれない。完全に片想いよ~(笑)