【熊野古道の旅】補陀洛山寺、究極の信仰、ここから渡海上人が船出した

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ロードバイクで熊野を巡る旅の初日は、紀伊勝浦駅を出発しておよそ2.4km北にある 補陀洛山寺 を訪れました。どうしても自分で行って、感じたい場所だったのです。

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熊野まできて自転車で走りっぱなしというのはもったいないですからね!今回のライドでは、方々で足を止め、歩き、色々と歴史や謂れを辿りながらの旅をしています。

 

ここから渡海上人が船出した

どうして訪れたかったか? ここは、渡海上人が船出した場所なのです。

 

何を隠そう!よしまるは渡海上人なんて知りませんでした。今回のために少し下調べをしたのでありますっ!それで、ここ熊野には色んな歴史、伝説、宗教、風習があることを知りました。

 

その気になれば「知る」ことに困らないご時世です。少し知識をつけるだけで、色んなものが全然違って見えてくる。チョコっと調べは絶対におススメです!

 

熊野を走ると、溜息の出るような美しい景色にたくさん出会いましたが、どこか暗さも漂っていました。三千六百峰の山々は多湿で緑が濃く深くて、大岩絶壁は険しくて、一人旅の心細さも相まってか、自然の畏怖を感じさせる不気味さを感じました。

 

この独特な雰囲気のせいか、熊野では昔から、様々な自然の造形が御神体と崇められ、神も仏も一緒(神仏習合)に様々な信仰が生まれたそうです。

 

なかでもこの辺りは昔、究極の信仰があった場所です。

 

往生を願う、補陀洛渡海

昔、熊野では、海の向こうに祖先の霊が集まる「黄泉の国」があると信じられていました。それが熊野信仰と結びついて、この辺りでは平安時代に、補陀洛渡海 という信仰がありました。

 

補陀洛渡海

補陀洛というのは、サンスクリット語の「ポータラカ」の音訳、観音菩薩の住む「浄土」のこと。それが海の向こうにあるので、そこに渡って往生すれば、永遠の命が得られると信じられていました。

 

渡海僧は自らの往生を願い、また人々の罪や苦しみを救うために、生身のまま30日分の食糧と法華経を読むための油を積んだ小舟に乗って、2隻の曳舟(ひきぶね)と共に、この補陀洛山寺から沖に出ました。

 

散歩中のおじいちゃんに、この辺りから船出したんだよ、と教えてもらった場所。

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やがて舟は、綱切島あたりで2隻の曳舟から切り離され漂流…、いずれ舟は沈み、入水往生となりました。写真右側にある沖の小さな突起、あの辺りが綱切島らしいです。

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記録では868年~1722年まで渡海は20人を超えるといい、多くは補陀洛山寺の住職でした。補陀洛山寺に渡海舟が展示されています。

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僧(渡海上人)はこの中に入り、出られないよう扉には外から釘が打たれ、村人に見送られました。実際にあったことなので、リアルに恐ろしいです。

 

住職さんから聞きました

訪問者がよしまるだけだったこともあり、住職さんが当時の様子を詳しく話してくれました。

 

渡海僧は基本、現役を引退した住職で、一種の姥捨て山的な制度だったそうです。

 

ある僧が渡海した時のこと。

本人は心の準備ができていないのに、村人は僧を送り出す準備をして崇め祭ったため、拒むに拒めず舟に乗った。ところが綱切島で綱を切られた後、舟から逃げ戻るも、村人は僧を捕えて再び舟に乗せ、入水させた。

 

その惨い事件以降、渡海僧には死亡した僧が選ばれ(または不治の病)、それを人々にはわからぬ様に隠してきたそうです。

 

当時の様子を描いた小説もあります。

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那智参詣曼荼羅 の原本が保管されている

話は変わって。

本堂には 那智参詣曼荼羅 の原本が保管されていました。なんとこれ、熊野一体の当時の様子が凝縮されたすごい絵でした。住職さん曰く、室町時代辺りに描かれたもので、平安時代の貴族が熊野参りをする様が描かれています。

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先程の渡海舟はここ。今の補陀洛山寺は海岸から少し陸に入った場所にありますが、かつては寺の前が海だったらしく、それが絵からも伺えます。

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こちらは那智の滝。三筋がはっきり描かれてますね。文覚という僧侶が滝修行をしていたら、あまりに水が冷たくて気を失ったので、コンガラ童子とセイタカ童子の二人が助けた場面です。水修行がいかに辛いものかが垣間見えます。

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熊野那智大社に並ぶ建物は、それぞれの神様が祀られていいて、おっ、その下に三本足の八咫烏(やたがらす)がいます!

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当時、京の都から熊野詣をする貴族は年20件ほどあり、ある種のブームだったようです。熊野御幸といって、京都から舟で淀川を下り、窪津王寺(今の天満橋辺り)から南下して紀伊田辺に入り、そこから中辺路~熊野本宮~那智大社というルート。

 

往復20日以上の道のりはとても険しく、後鳥羽上皇がこんな詩を詠んでいます。

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「熊野へ参らむと思へども 徒歩(かち)より参れば道遠し すぐれて山峻し(きびし) 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽賜べ(はねたべ)若王子」

(歩くには遠く、山も険しい。馬では修行にならない。いっそ空を飛ぼうか。私に羽を与え賜え、若王子よ)

 

これに付き合わされる従者はたまったもんじゃないね。

 

日本でここだけ、三面千手の観音像

本堂に安置されている、木造千手観音立像(三貌十一面千手千眼観世音菩薩)。これ、事前に読んだ雑誌情報で、日本で唯一の三面千手観音なんですって。

ホンモノは秘仏で年3回だけ見れますが、傍にレプリカがありました。

 

なんてたくさんの手・手・手!さらに両耳の後ろに顔があります。

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寺伝によると、古代インドから熊野へ到来した僧侶が持ち込んだといいます。まさに、渡海の様を見守り続けた仏様です。

 

行ってみよう!

補陀洛山寺、いかがでしたか?

少し知識をつけてから訪れると、歴史のロマンを感じられて、感慨深さもひとしおではないでしょうか?

 

こちらの住職さんは、本当に丁寧にガイドしてくださいます。

是非、足をのばしてみてください!