補足:名誉のために断っておきますが、上の写真は我が家ではありません
雑誌をパラパラ読みしていて、すごい記事が目に入りました。 ハッ!
2歩以上歩かなきゃいけないところに、人はモノを戻せないんです…
引用元:LDK 2020年10月号
マジかッ!
確かに、リビングを見渡すと収納が離れています。どうして片付かないのか腑に落ちた気がしました。
さて、これで本当に長年の悩みは解決するのか?近くに収納があれば片付けられるのか…?それを確かめてみることにしました。
通称「グシャ」
ちなみに今、私がどんな生活をしているかというと、大掃除か、思いついた時か、たまの来客時にのみ、片付けをします。
特に来客時は壮絶です。散らかったモノを「例の部屋」に移動します。ブルドーザー的にガガァーッと、一気に。そして一瞬でリビングが片付きます。リビングに入った人が言います、「キレイな部屋ですね~♪」と。
我が家ではこの作業を「グシャ」と呼んでいて、「お客さんくるから グシャしてー!」というと、みんなブルドーザーになります。他にも「グシャする?」「グシャしとこうか?」「今日誰か来た?例の部屋がグシャだけど」といった具合に使います。
そう、グシャはとても便利な言葉。
でも、これで散らかりから解放されれば死語になるはず。
追記:
先日配管の点検業者が突然やってきて、グシャが間に合わず撃沈しました…
検証:手が届く場所に収納があれば片付くか?
さて、先程の雑誌でおすすめされていた収納方法は、テーブルの下に入るサイズのワゴンを買いましょう、というものでした。これ。
おぉぉーっワゴンとは。これいい、いいでしょう~!
早速ワゴンを買いに行きましたが、我が家のテーブルにはまるものが見つからず、一時的に小さなスーツケースを備えました。
ですが結果は… 相変わらず散らかったまま。かろうじてキレイだったのは1日だけ。
とどのつまり、片付けができない私には、手の届く範囲に収納があったところで、
戻す行為自体ができないと自覚する羽目に。キョ、距離の問題じゃない…。やはり片付けの才能が欠落しています。こうしてまた一つ自分を理解しました。
片付いた部屋にするには?
片付けの能力が欠落していると自覚すると、気持ちが少し楽になります。だったら努力してもしんどいだけだからなぁ。
いや待てよ?モノの量が私の管理能力(キャパ)を超えているとすれば、管理できる量に減らせばいいのでは? モノレス生活。。。やはりズボラーの行きつく先はここか。
そして新たな気づきが!
そういえば…と部屋を眺めると、我が家にも、常に片付いている場所がありました。
玄関、トイレ、洗面所、防音室、屋根裏部屋・・・
あれ?思ったより結構あるなぁ。
そして、これらの部屋に共通して、モノが少ない と気づきました。
我が家の玄関です。撮影のために片付けた訳じゃなく常にこの状態。子供の靴を下駄箱にしまった程度です。目に着くところには殆どモノがありません。
もう一つ、大事な事に気づきました。用途が一時的 なこととです。
玄関では、靴の脱ぎ履きしかしない
トイレでは、用を足すだけ
洗面所では、歯磨きと手洗いだけ
防音室と屋根裏部屋は、めったに使わない
反対に、いつも散らかってしまうリビングは、食事、団欒、読書、趣味、雑用、勉強、PC… あらゆる日常をそこでこなし、それらが重なる時間があります。
編み物の途中で食事を作りに行き、勉強していたら食事に呼ばれる…。それで今やっていた事をそのままに次に向かう。だからやりっぱなしになる。
人が集まって多くの時間を過ごす、色んな用途で使われる。だからモノが集まる、散らかる。。片付けないと死罪という訳じゃないから片付けない。。あれ?しごく当たり前のことなのでは?不便に感じるまで何もしない。これって自然な行動では?
後は、不便に感じるかどうか。
片付いていないと居心地が悪いと思えるようになれば、おのずと片付けるようになるかもしれません。片付いたテーブルの上で飲むコーヒーは美味しいし、落ち着きます。
いやまてよ?散らかってて不便だったことなんて、腐るほどあったじゃん。
出かけようとして、鍵どこいった?とか、靴下が片方ないとか、スマホが知らんところで鳴ってたり。なのにどうして、片付かないんだろう?
そもそも頭が良かったら、一度不便を感じて、2度目の過ちを犯さないのでは? 何度も不便を感じながら同じ過ちを繰り返す自分がアホなのでは?
ふぅー、考えるだけで疲れました。
今日はもう寝よう。
(オイこら、片付けなさいよ!)