共同菜園に込められた想い

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台風を目前にして、共同菜園の今を切り取っておきました。

何種類もの野菜や花が植えられて、見ているだけで癒されます。

 

私の住む都市部で菜園を持つのはとても難しいのですが、近所の鉄道沿線にはちらほら空き地があって、その一角の空き地が菜園になっていました。ある日、たまたま居合わせたおじいさんに声をかけたのがきっかけで、私も参加させてもらっています。

 

菜園は、近所のご老人たちが作ったもので、曜日別に水やり当番がある他は、特にルールはなく、植えるものも収穫も自由ですが、自然に話し合って決まっていきます。

 

60~80代のお年寄りの中で、私は唯一、親子以上に年の離れたおばさん。

こんな世界、今まで経験したことありませんが、皆さん穏やかで、やさしくて、会うたびに心癒される素晴らしい方々です。

 

土の深さが10㎝しかない場所があったことで、

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ピーマンやししとうの畝


多くの方は80才を超えていますが、驚くほど元気で、ここが生きがいなんだよって言います。中には歩くのが不自由で、電動カートで来られる方もいますが、楽しそうです。

 

私よりはるかに畑仕事が早い方々ですが、せめて力仕事で貢献しようと、鍬で雑草を抜こうとしたら、10㎝ほど入ったところで、カツンと固いものに当たりました。

 

「この下に何か大きな石があるみたいです」と言うと、「それはコンクリートだよ」と言われました。それから、菜園ができるまでの事を話してくれました。

 

元は保育園、地中は貯水タンクから始まった

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一面のゴーヤ畑


元々この場所の地下には、近隣の雨水が集まる貯水槽があって、その上に保育園が建っていました。

 

数年前、保育園の移設で建物が取り壊された跡地は、草一本生えないコンクリートの瓦礫の土地だったそうです。

 

老人たちは、そこを菜園にしたいので貸してほしいと役所に願い出て、何枚もの書類を提出し、ようやく無償で借りる手続きをしました。


それから毎日、瓦礫を手作業で取り除き続け、ようやく貯水槽の上面が現れると、

 

今度は、各自がホームセンターで土を買ってきては、コンクリート床の上に土を入れ続けました。土を買うお金に分担はなく、買える人ができる時に運んだそうです。

土を入れるのに1年かかりました。

 

ある時は、ゴミで捨てられている植木鉢やプランターを集めてきて、その中にあるわずかな土も入れたそうです。

 

土が入ると肥料を漉き込み、畝を作り、苗を植え、花の種をまきました。

捨てられた鉢の菊を持ってきて、小さな命を大事に大事に。

畑の経験がない中、失敗しながら、皆でこの土地にあった方法を探してきたそうです。

 

この途方に暮れる営みを、誰一人諦めることなく、地道に続けた果てに今の景色があると思うと、聞きながら泣いていました。

 

80才を超えてから、いつ出来上がるかわからない菜園のために瓦礫を撤去する気持ちも、若輩者には想像がつきません。

 

この菜園を通して、彼らの目には、これまでの色んな景色が見えるんじゃないかなと勝手な想像をして、来るたびに心打たれます。

 

「誰でも参加していいよ」

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サツマイモとスイカ(奥)

 

そんな途方もない時間をかけて作られた菜園なのに、私に「誰でも、いつでも来ていいよ」と言ってくれたなんて、ちっとも知りませんでした。

 

毎週日曜日の朝は、来たい人が自由に集まる時間です。

 

そこで、各自が雑草を抜いたり、畝を作ったり、苗を植えたり、収穫したり。

一通り作業を終えると、語らいの時間です。

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お菓子やジュースを持ち寄って、1時間ほど会話がはずみます。

その後で、各自が収穫した野菜を持ち帰ります。

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ここでは学ぶことばかり

会話が面白いのはさることながら、ここでのやり取り全てに学びがあり、いろんなノウハウを教えて貰っています。

 

例えば、大量の紫蘇で総菜を作る時に気を付けることとか、雲の様子から明日あたり雨だとか。この人たちは理屈じゃなく、経験から物事の真理を学び知っています。

 

何より、私なんかどうしたって敵わない、気遣いのさりげなさ。

コップが空っぽじゃないか、自然に気遣い合う空気感。

すすめた相手を傷つけずにさりげなく断る話し方、それを汲み取って返す言葉。

常に相手の話を聞く姿勢、相槌の絶妙さ。

 

すべては互いを大事にする気持ちからだろうと思いますが、それが空気のように自然にできていて、とても心地よい時間になります。

 

真夏の凪の合間にわずかに吹いた風を「気持ちいいいね」と楽しみ、「ブロック仕切りの脇に生えた雑草をキレイに取り除くのが好きなの」と笑う。また来週生えてくるのに。そんな表情全てが純粋で、美しいものに思えてなりません。

 

こんな素晴らしい会話を、私は同世代とできる機会がありません。どこに置いてきてしまったんでしょうか。

 

今回写真を撮ってブログに載せたいといったら、どうぞどうぞ、と言ってくれました。

彼らがこの記事を読むことはないと思いますが、一人も欠けることなく長生きしてほしいと心から願います。