衣服に対する新しい金銭感覚のすすめ

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みなさん、服にいくらかけていますか?

 

気に入ったら高くても買える人は少数で、殆どの人はお財布とにらめっこして買うのではないでしょうか。

 

・セールで安くなったから買った

・UNIQLOとか元々安い店で買う

では、いくらなら「安い」=買う と判断していますか?

 

それって実は、自分の中の「経験」という「先入観」が基準になっていて、とてもフワフワしたなものなんです。

 

これまでの経験から無意識に「高い」「安い」基準が決まっていて、それに照らして「必要+安い」となれば買う、という行動になります。

 

私の場合、セール品を買う習慣が染み付いているので、「割引率が高い=安い」と思ってしまう節があります。トホホ。

 

割引率が高い理由の多くは、使い勝手が悪くて売れ残ったからです。と、頭ではわかっているのに、何度失敗したことか!

 

ですがコロナ在宅を機に、服ってこんなにいらないなー、と思ったのがきっかけで、服代をどこまで減らせるのか計算してみました。

 

そのときふと思ったんです。

今着ているこの服に、1日いくらかけてるんだろう?

 

先ほどの計算で被服費をギリギリまで切り詰めると 年26,300円 でした。一日72円。

でもこれは、リメイクなどの工夫の賜物で、一般的にはこの何倍もお金がかかります。

 

以前、コーヒー代を節約すると、驚くほどお金が貯まるという記事を書きました。

1日300円のコーヒーをカフェで飲むのをやめれば、月1万円も投資に回せます。

 

ですがどうでしょう?

服代ってこのレベルを余裕で超えてくるんですよ。

 

調べると、サラリーマンの洋服代は月1万円が平均のようですが、靴や下着など全身の被服としてみると、これにはとても収まりません。

 

私たちは、毎日300~500円以上払って衣服一式を買っている ことになります。

そう思うと、服代ってとても高いと思いませんか?

 

服代を考えるときの新しい基準

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ということで、服にかかるお金を別の視点から見てみましょう。

 

「会社が機械を買って10年で減価償却する」場合、そこには機械を10年間使う前提があります。これを服にあてはめてみるとこうなります。

そのシャツ、何回着ますか?

 

例えば、2,000円のシャツを買って1日しか着なければ、あなたはその日のシャツに2,000円払ったことになります。

 

2日着れば、1日1,000円かけたことになり、

4日着れば、1日500円かけたことになり、

10日着れば、1日200円かけたことになり、

着れば着るほど、1日にかけた洋服代が安くなっていくと考えるのです。

 

1万円のYシャツを買ったのに、初日にケチャップ染みを付けたために着なくなってしまうと、あなたはその日、1万円分のレストランの食事と同じ額をYシャツに払ったことになります。

美味しい寿司を食べれたのに!と思うと、高い買い物だなって思いませんか?

 

逆に、1万円のYシャツを1,000回着たら、1日10円で着たことになります。

同じ額のYシャツでも、その後の使い方次第で高くも安くもなりますね。

 

洋服代に対する見方が変わる

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そういう風に捉えると、服を買う基準がこれまでと変わってきませんか?

 

これまで 安い と思っていた服は、本当に 安い のかな?

逆に、高い と思っていた服は、本当に 高い のかな?

 

買う時にちょっと立ち止まって、「これはどれぐらい(何回)着そうかな」という視点を入れてみてはと思うのです。

 

ショップでいちいち割り算なんてしてられませんが、これまで「安い」と思って買っていた服を「これは高頻度で使えるな」と思えば「買い」、という考え方もできます。

 

私はこのおかげで、セール品で失敗する機会が減りました。実はファッション誌をバカにしていたキライがありましたが、どんな服や色が着回しやすいかという視点で見ると、これが意外と使える代物で、以前より服選びがまともになりました。

 

こうした、ちょっとした視点を加えることで、

 

この1着をなるべくたくさん着ようと、新しく服を買う機会が減るかもしれません。

シミ汚れが目立つ色をなるべく選ばなくなるかもしれません。

シミ汚れが目立つ色を買うときは、使う時に気遣うようになるかもしれません。

短命で着れなくなった服は、他に使えないかなぁと思うようになるかもしれません。

 

それって、モノを大事にすることにつながる、と思います。

そうして使い込まれた服は、ヨレヨレの姿に愛着と哀愁をまとうのだと思います。

 

経済の循環からすると逆行するかもしれませんが、そんな考え方をする人がいても、いいんじゃないかと思ったり。では!